四畳間

幼女の備忘録と感想文

なぜ私はTeXを使えるようになったか

 TeXには昔から憧れがありましたが,学部のときに馴染めず,修士のときに馴染めず,結局Wordで論文を書いていました.社会人を経たあとの博士課程(※)で遂に使えるようになったので,その理由を分析してみようと思います.
※社会人を経て博士課程に進学した件については,時効だと思ったら書きます.
 

原因は私個人

 導入でうまくいかなかったわけではありません.それが,研究室でTeXの使用が強制されていなかったこともあって,私個人の問題でTeXを使わないで生きてきてしまったのです.
 

簡潔に書く意識とフォーマットに従う意識の不足

 学生のときは,多く書けばそれだけ伝わると信じていたので,論文なんかは少しでも多く書こうとしていました.こういう考えを持っていた場合,下図で示すように,なんらかの変更に対して,体裁がリアルタイムで変わるWordは,少しでも多く書くための微調整にあたって都合がよかったのです.
 

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段落「あ」の行数が1行減るまでFig.1のサイズを小さくしていく,
といった調整がWordだとやりやすい.
 
 多くの人に説明して回るような仕事を何年かすると,簡潔に書くことの必要性が肌でわかります.社会に出て文章を簡潔にする努力を続けた結果,画像サイズやレイアウトの調整ではなく,文章を簡潔にすることの方がよい,と考えるようになりました.これが,TeXを使えるようになった一つ目の理由です.
 
 二つ目の理由も,社会に出てからの意識の変化によるものです.昔は,TeXの体裁整形機能に“コントロールできないもの足りなさ”を感じていました.しかし,仕事をするなかで,フォーマット(書式,標準)というのは,①必要な情報を自然と揃わせる,②書面のなかで必要な情報がどこにある把握しやすくするためにあり,勝手に変えてはいけないもである,と考えるようになりました.TeXの体裁整形機能もある意味で従うべきフォーマットであり,少しでも多く書くための無理な介入はやめようと考えるようになりました.
 三つ目の理由も,同じく社会に出てからの意識の変化によるものです.他人に仕事を任せるという経験を積み重ねるなかで,レイアウトも他人(ここではTeXアルゴリズム)に任せようという気になったというのもありますね.